イラン旅行記
3日目 06/03/25(土)
シラーズ
宿泊
観光
ペルセポリス シラーズ
ナグシェ・ロスタム 宿泊
ナグシェ・ラジャブ
エラムガーデン
ハーフィス廟
サーディー廟
エマームザーデイェ・アリー・
エブネ・ハムゼ聖廟
シャー・チェラーグ廟
(赤字は世界遺産)

 ペルセポリスは、アケメネス朝ペルシャ帝国の都であった。BC500年頃ダレイオス1世(ダーラヤーウ1世)が建設
した宮殿群であった。BC331年アレクサンドロス大王によって破壊され廃墟になった。遺跡はイランのファールス地方
(当時の名はパールサ地方)にある。ペルセポリスの名はギリシャ語の記録に由来し、意味は「ペルシャ人の都である。
現代語のペルシャ語では、タフテ・ジャムシード(「ジャムシードの玉座」の意)と呼ばれている。1979年にユネス
コの世界遺産に登録された。                         (Wikipedia より(一部補足)) 

 シラーズの標高は1500メートル。前日の夜中にかなり涼しくなり何度もお手洗いに起きました。
今日は旅行のハイライトであるペルセポリス見学です。7時30分に出発しましたが、街中が旅行者
の車で溢れかえっていて道路は大渋滞です。ペルセポリスへの道も大渋滞です。


車を降りてからも人波の列が遺跡までかなり広い道路一杯の幅で続きます。



 ペルセポりスではテレビや雑誌で見て想像していたイメージ通りの印象でした。素晴らしい!
良く保存されていると感激しました。レリーフの一部に削り取られた跡がありました。その部分
がルーブルに寄贈されたという・・・・・。
 見学中に何組ものイラン人から一緒に集合写真に誘われました。色々質問もされました。
ペルセポリスは昨日5万人の人が入ったそうです。外国の旅行者とおぼしき人の姿を全く見か
けないことから、外国人が珍しいのかな?と思いました。


ダレイオス1世の息子が建造したクセルクセス門]


 [伝説の鳥ホマ]







[アパダーナ(謁見の間)の石柱]

   







[ダレイオス1世の宮殿]








[上8画像はアパダーナのレリーフ像





[アパダーナ(謁見の間)の石柱]




 ナグシェ・ロスタムは、イランのペルセポリスの北にある巨岩の遺跡。岸壁には
アケメネス朝時代の墓標やサーサーン朝時代のレリーフなどが刻まれている。
付近にはナグシェ・ラジャブもある。          (Wikipedia より)

ナグシェ・ロスタム、ナグシェ・ラジャブを見学しました。

王の墓





[シャープール1世のレリーフ]





ここからは、ナグシェ・ラジャブだと思います。



 エラム庭園は、イラン・ファールス州シーラーズにある有名な歴史的ペルシャ庭園。エラム庭園は
「楽園の園」という意味である。広いが、ガジャール朝時代に建てられた際は、軍エリートかファールス
州の部族の長がこの複合施設を使用しており、後にイラン王族も使うようになった。パフラヴィー朝時代
には、パフラヴィー大学が保護しつつ College of Law として使用していた。現在もシーラーズ大学のもの
であるが、博物館として一般公開され Iran's Cultural Haritage Organization が保護している。2011年、
他のイラン国内の八つのペルシャ式庭園とともにUNESCO の世界遺産に登録された。
                                      (Wikipedia より) 

この後一旦ホテルに戻って小憩後、エラムガーデンに行きました。




 ハーフィス廟は、イラン南西部の都市シーラーズにある霊廟。同地に生まれ没した14世紀の詩人
ハーフィスが眠る。八角形の東屋のドームには青を基調とした繊細な装飾が施され、ハーフィスの棺
が安置されている。                          (コトバンクより)

次にハーフィス廟に行きました。



サーディー廟は、イランの南西部の都市シーラーズの中心部にある霊廟。ハーフィズと並び、
同国で最も人気がある13世紀の詩人サーディーが眠る。19世紀の建造。(コトバンクより)

次にサーディー廟に行きました。




 エマームザーデイェ・アリー・エブネ・ハムゼ聖廟について、歴史の説明が見つかりません。

町の様子を楽しみながら、エマームザーデイェ・アリー・エブネ・ハムゼ聖廟に向かいました。







 シャー・チェラーグ廟は、イラン、シーラーズに建設された霊廟であり、モスクである。
シャー・チェラーグは「光の王」の意である。シャー・チェラーグ廟の主は、シーア派十二イマール派
の第八代イマールであるアリー・リダーの兄弟であり、第七代イマールであるムーサー・カーズィムの
子、ムハンマドとアフマドである。この二人は、アッバース朝のシーア派の迫害から、この町に移っ
てきた。                             (Wikipedia より)   

廟、最後にシャー・チェラーグ廟を外から見学しました。



 ホテルに戻ったときには20時30分頃になっていました。よくもこんなに遅くまで観光したものです。
100ドルの両替で91万2千リアルでした。100リアルは1円32銭となります。



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